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こんにちわ。
クリオネスです。
今日もまた、トリックスターとは関係のないお話しです。
ボクにとって言葉や文字などはどのようなものなのかを少しだけ書きたいと思います。
一部中傷的な内容などもあるかと思います。読みたくない方は回れ右。
どこから話せばいいのか。
このように始まる小説や物語、童話などは多々あると思いますが、実際には、どこからという時点ですでにお話しは始まっています。
かみ砕いて言えば、すでにそこに文字が存在しているからです。
何も語らずに終わるものは、白紙で終わるのです。
かみ砕いて言えば、初めからそれは終わっているのです。
人々は、いつも終わりに向かって突き進み生きていくものだと、ボクは思っています。
もっと、言いますと、この宇宙どこに住んでいるものでも終わりに向かって進んでいるのです。
終わり続ける物語、終わり続ける人生、終わり続ける人間関係。
極端な話、この世界に始まりなどはないのです。
すべては終わっているのですね。
何故、そのような考え方になるのか。
それでは逆にお聞きしたいです。いつ、始まっているのでしょうか?
これについて、ボクは数学的見解から一つの事でしか証明ができません。
数学において、微少のものは無視できる、またはみないものとしていい。
これは微分積分学の時に学ぶことなので文系の方も高校1年か2年の時は聞いたことがあるはずです。
知らない人は、そうなんだと理解して下さい。
さて、つまりは、始まりというものがとてつもなく小さい存在ならば、その物事は初めから全てにおいて終わっているのです。
なので、ここで一つの提起します。
これからは、全てが終わる物語です。
さぁ、提起いたしました。それでは、みなさんはどのような答えを心に宿すのでしょう。
話は戻りまして、言葉についてですか。
昔のことは忘れました。いい例がありません。
なので、今一番、ボクにとって身近な例をいいながら言葉について話していきましょう。
ボクにとって、言葉を発するときなど、曖昧または本来の言葉の意味とはまったく違う言葉を使われると、イラっとします。
トリックスターで、ボクが知人友人などに言われてイラっときている、言葉を列挙いたしましょう。
テンタライオン → ボンテライオン・ブタ
クイーンオディニア → ババァ
ブラッド伯爵 → はくさい
トムベス → ブタ
シーシャーク → 子爵
ケイオス → K♂
安眠マスク → 枝豆
などなど。他にもたくさんありますが、例は最低でも2つ。よくて3つあげればいいので、これだけあげればいいでしょう。
正直、2チャンネルなどでもあげたいものはたくさんありますが。まぁ、いいです。
さて、ボクが何故、イラっとくるのか。
それは、言葉の意味が分からないからということ他なりません。
言葉というのには力があります。
その本質を逸した言葉は下品なのです。
上記の言葉の例を見てみます。
テンタライオン → ボンテライオン・ブタ
意味が分かりません。
変換するのは勝手ですが、それは万人に知られているような言葉ではない。
本人が、勝手にその物体の印章で、勝手に名前をつけているにすぎない。
勝手に名前をつけたなら、それを相手に話すときには、まず「自分は、これこれを、こう呼んでいると」ハッキリと言わなくてはいけない。これはボクの中で義務だと思っています。
何故なら、聞いている方が疲れるからです。
意味不明なことを人は聞きたくありません。基本的に。
ちなみに、ボクは本来の名前から逸脱しすぎている言葉を聞いた瞬間に、その人の話を聞きたくなくなって、すごい勢いで聞き流しています。
たぶん、その人とその時話したことは9割覚えてないでしょう。
というか、個性を出すためなどのだけために、言葉を無理やりにねじ曲げている人を見るだけで嫌気がさします。
生理的に受け付けません。これは、ボクが数学が好きで、数学というのは言葉を明確にしなくてはいけないということを長年やってきたからかもしれませんが、言葉を曖昧にしたり、辺にねじ曲げたりする人はあまり好きではありません。
数学で ~~~かもしれない なんて馬鹿げた記述なんて見たことないでしょう。
と、少し個人的な事情が入りましたが、言葉というのは、その名前の呼び方が本来の呼び方と違う呼び方であるなら、万人に知れ渡っていなくてはいけないのです。
例えば、自分のニックネームが、ある日突然変なものにされるとします。
それは、もちろん周りも知りません。発言した人しか知らないものとします。
だとしたらどうでしょう。その言葉が、この世界から浮いている。そんな感じにはならないでしょうか。
疎外感とでもいうのでしょうか。
ボクは、それがとても嫌なのです。
もっといえば、それが普通だと思い、自分も使って、まったく知られていなかった言葉だとしたらとてもいい恥さらしです。
言葉とはいつだって正確であるべき存在です。
そうでないのなら、この世の中にはブログや小説などは存在しなくなっていしまう。
ある一定の言葉のルールが消えてしまったら、それはもう言葉ではなく、ただの記号となってしまうのだから。
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どこから話せばいいのか。
このように始まる小説や物語、童話などは多々あると思いますが、実際には、どこからという時点ですでにお話しは始まっています。
かみ砕いて言えば、すでにそこに文字が存在しているからです。
何も語らずに終わるものは、白紙で終わるのです。
かみ砕いて言えば、初めからそれは終わっているのです。
人々は、いつも終わりに向かって突き進み生きていくものだと、ボクは思っています。
もっと、言いますと、この宇宙どこに住んでいるものでも終わりに向かって進んでいるのです。
終わり続ける物語、終わり続ける人生、終わり続ける人間関係。
極端な話、この世界に始まりなどはないのです。
すべては終わっているのですね。
何故、そのような考え方になるのか。
それでは逆にお聞きしたいです。いつ、始まっているのでしょうか?
これについて、ボクは数学的見解から一つの事でしか証明ができません。
数学において、微少のものは無視できる、またはみないものとしていい。
これは微分積分学の時に学ぶことなので文系の方も高校1年か2年の時は聞いたことがあるはずです。
知らない人は、そうなんだと理解して下さい。
さて、つまりは、始まりというものがとてつもなく小さい存在ならば、その物事は初めから全てにおいて終わっているのです。
なので、ここで一つの提起します。
これからは、全てが終わる物語です。
さぁ、提起いたしました。それでは、みなさんはどのような答えを心に宿すのでしょう。
話は戻りまして、言葉についてですか。
昔のことは忘れました。いい例がありません。
なので、今一番、ボクにとって身近な例をいいながら言葉について話していきましょう。
ボクにとって、言葉を発するときなど、曖昧または本来の言葉の意味とはまったく違う言葉を使われると、イラっとします。
トリックスターで、ボクが知人友人などに言われてイラっときている、言葉を列挙いたしましょう。
テンタライオン → ボンテライオン・ブタ
クイーンオディニア → ババァ
ブラッド伯爵 → はくさい
トムベス → ブタ
シーシャーク → 子爵
ケイオス → K♂
安眠マスク → 枝豆
などなど。他にもたくさんありますが、例は最低でも2つ。よくて3つあげればいいので、これだけあげればいいでしょう。
正直、2チャンネルなどでもあげたいものはたくさんありますが。まぁ、いいです。
さて、ボクが何故、イラっとくるのか。
それは、言葉の意味が分からないからということ他なりません。
言葉というのには力があります。
その本質を逸した言葉は下品なのです。
上記の言葉の例を見てみます。
テンタライオン → ボンテライオン・ブタ
意味が分かりません。
変換するのは勝手ですが、それは万人に知られているような言葉ではない。
本人が、勝手にその物体の印章で、勝手に名前をつけているにすぎない。
勝手に名前をつけたなら、それを相手に話すときには、まず「自分は、これこれを、こう呼んでいると」ハッキリと言わなくてはいけない。これはボクの中で義務だと思っています。
何故なら、聞いている方が疲れるからです。
意味不明なことを人は聞きたくありません。基本的に。
ちなみに、ボクは本来の名前から逸脱しすぎている言葉を聞いた瞬間に、その人の話を聞きたくなくなって、すごい勢いで聞き流しています。
たぶん、その人とその時話したことは9割覚えてないでしょう。
というか、個性を出すためなどのだけために、言葉を無理やりにねじ曲げている人を見るだけで嫌気がさします。
生理的に受け付けません。これは、ボクが数学が好きで、数学というのは言葉を明確にしなくてはいけないということを長年やってきたからかもしれませんが、言葉を曖昧にしたり、辺にねじ曲げたりする人はあまり好きではありません。
数学で ~~~かもしれない なんて馬鹿げた記述なんて見たことないでしょう。
と、少し個人的な事情が入りましたが、言葉というのは、その名前の呼び方が本来の呼び方と違う呼び方であるなら、万人に知れ渡っていなくてはいけないのです。
例えば、自分のニックネームが、ある日突然変なものにされるとします。
それは、もちろん周りも知りません。発言した人しか知らないものとします。
だとしたらどうでしょう。その言葉が、この世界から浮いている。そんな感じにはならないでしょうか。
疎外感とでもいうのでしょうか。
ボクは、それがとても嫌なのです。
もっといえば、それが普通だと思い、自分も使って、まったく知られていなかった言葉だとしたらとてもいい恥さらしです。
言葉とはいつだって正確であるべき存在です。
そうでないのなら、この世の中にはブログや小説などは存在しなくなっていしまう。
ある一定の言葉のルールが消えてしまったら、それはもう言葉ではなく、ただの記号となってしまうのだから。